水には構造がある 理研

水に潜む氷の影
理化学研究所の発表 2008年6月   の紹介
独立行政法人 理化学研究所/ストックホルム大学/スタンフォード線型加速器センター/財団法人 高輝度光科学研究センター

水の連続的な状態変化を唱えた常識を覆す
電子の状態を眺めると、2つの構造が水を支配している –

ポイント
100年来の論争が続く水の構造の問題に、電子状態の構造解析で結論
高分解能の軟X線発光分光装置で、2つの主な構造を世界で初めて観測
2つの構造は、水素結合の腕が大きく歪んだ構造と氷によく似た秩序構造と判明

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、大型放射光施設SPring-8※1に整備した軟X線発光分光装置※2で、水の電子状態を0.35 eVという世界最高の分解能で観測し、水には主に「水素結合の腕が大きく歪んだ構造」と「氷によく似た秩序構造」の2種類があることを発見しました。本研究は、放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)量子秩序研究グループ励起秩序研究チームの辛埴チームリーダー(国立大学法人東京大学物性研究所教授兼任)、徳島高研究員、原田慈久客員研究員(東京大学大学院工学系研究科特任講師兼任)、国立大学法人広島大学理学部の高橋修助教、財団法人高輝度光科学研究センターの大橋治彦副主席研究員、仙波泰徳研究員、米国 スタンフォード線型加速器センターのA.ニルソン(A.Nilsson)准教授およびスウェーデン ストックホルム大学のL.G.M.ペターソン(L.G.M.Pettersson)教授の共同研究による成果です。
約100年前、X線の発見者として知られるW.C.レントゲン(W.C.Roentgen)博士が、「水は氷によく似た成分と未知の成分の2つからできている」というモデルを提唱しました。その後、現在に至るまで、水は「氷によく似た秩序構造を出発点にして連続的に歪んでいく」ことで成り立っているのか、あるいは「特定の構造の間を行ったり来たりする」のかという論議が絶えず戦わされてきました。この水の謎に終止符を打つために、分子動力学計算※3やX線・中性子散乱をはじめとした、理論的・実験的な研究が行われてきましたが、いまだに結論はでていません。
研究グループは、水素結合※4と呼ぶ「力」によって水分子中の電子が受ける影響を軟X線発光分光で調べました。その結果、液体の水の中には明確に区別できる2つの状態があり、1つは「水分子間をつないでいる水素結合の腕が大きく歪んだ水の海」、もう1つは「この海の中に浮かぶ氷によく似た秩序構造」であることを見いだしました。この発見は、これまで有力とされていた「連続的に歪んでいる水」を記述していたモデルを覆すとともに、水溶液や生体内など、水がかかわるあらゆる科学的現象の理解を進める上で重要な鍵となります。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Chemical Physics Letters FRONTIERS article』、オンライン版(6月11日付け:日本時間6月12日)に掲載予定です。

1. 背景
水は地球上でもっとも普遍的な物質の1つで、古くからさまざまな分野の科学者の興味を惹きつけ、数多くの理論的・実験的研究が進んでいました。しかし、現在でも水の性質を完全に理解することは容易ではなく、水がどのような構造を持つかということについても論争が続いています。この100年あまりの間、水は、氷によく似た秩序構造を出発点として連続的に構造が歪んだものなのか、それとも特定の構造の間を行ったり来たりするものなのか、という議論は決着せず、絶えず論争されてきました。この議論は1892年、X線の発見で有名なW.C.レントゲン博士(1901年、第1回ノーベル物理学賞受賞)が「水は氷によく似た成分と未知の成分の2つからできている」というモデルを提唱したことに端を発しています。1933年になって、英国ケンブリッジ大学のJ. D. バーナル(J. D. Bernal)教授と R. H.ファウラー (R. H. Fowler)教授は、水のX線回折のデータをもとに、水は2つの状態ではなく、本来ならば正4面体の頂点に水分子が配置しているはずの氷が、連続的に歪んでできているというモデルを示しました。このモデルは、さまざまな分光学的手法や分子動力学計算による研究結果から、相次いで支持が得られ、瞬く間に世の中に広まりました。中でも分子動力学計算を使った水の3次元シミュレーションは、1980年代以降の計算機の著しい性能向上と相まって、無数の水分子が、正4面体ネットワークの中で熱による揺らぎを受けて、10億分の1秒以下という超高速で結合・乖離を繰り返す様子を動画で映し出し、「氷に近い水」というモデルがもっともらしいことを人々に強く印象づけました。しかし一方で、W.C.レントゲン博士の提唱した2つの状態のモデルや、その派生として考え出された混合状態モデルを支持する研究結果の報告も、現在まで後を絶ちません。

2. 研究手法と成果
研究グループは、この問題に別の角度からアプローチするために、軟X線発光分光(図1)という手法を用いて、水分子間に働く水素結合を支配する電子の状態を調べました。大型放射光施設SPring-8の理研高輝度軟X線ビームライン(BL17SU)の輝度と単色性およびエネルギー安定性を利用し、液体フローセル※5という軟X線分光用に開発した試料容器と、世界最高分解能を誇る独自の軟X線発光分光装置を組み合わせた分析システムを使いました。その結果、従来の低分解能の分光装置での解析から得ていた、幅広い1つの状態とみなされていた水の孤立電子対※6のピークが、実は2つの成分A、Bに由来していることを発見しました(図2)。2つの成分A、Bの温度による変化を見ると、Aは水蒸気(水分子)のピークに近く、Bは氷のピークに近いことから(図3)、それぞれ「水素結合の腕が大きく歪んだ水分子の海」と「その中に浮かぶ氷によく似た秩序構造」に対応していることがわかりました。温度変化に対して、これら2つのピークはほぼ形状を保ったままで推移しており、中間状態が現れませんでした。このことから、AとBの間の連続的な状態は存在しないことがわかりました。さらにこのピークを詳細に調べると、高温側でAに対するBの強度比が減少していることがわかりました。これは、温度上昇に伴って水素結合の切断が促進され、「氷によく似た秩序構造」が、中間状態を経ずに「水素結合の腕が大きく歪んだ水分子の海」に移行するというモデルで説明されることがわかりました。
研究グループはさらに、実験結果を説明するために、理論計算を行いました。水に対して一般的に用いられる密度汎関数法(DFT法)※7による電子状態計算を、今回用いた軟X線発光分光に適合することができるように改良し、氷と水蒸気に対して行った結果、それらの孤立電子対のピーク位置を正確に再現することに成功しました(図4)。一方で、同じ計算を水に対して行った結果、最新の分子動力学計算から導かれる水の構造モデルを用いても、水に対する孤立電子対のピークは、実験に反して分裂が見られないことがわかりました。このことは、最新の分子動力学計算から導かれる理論的な水の構造モデルに修正を促すとともに、W.C.レントゲン博士が100年以上も前に示したモデルが正しかったことを示しています。

3. 今後の期待
水は、私たち人間を含む生物、非生物を問わず、さまざまな物質の中で溶媒、溶質として働いていますが、その電子状態が直接議論されることはめったにありません。しかし、水溶液中のさまざまなイオンが、水の局所構造に異なる影響を及ぼすことは周知の事実です。また、固体と液体の界面では、水の構造に対して界面の影響が無視できないことも示唆されています。生物を構成する細胞は、多種のイオンを含んだ水と、さまざまな界面の集合体であるため、水の構造は細胞の働きと切っても切れない関係にあります。水素結合を介した水のネットワーク構造の正しいモデルを得ることは、水を含むあらゆる物質の集合における水の役割を理解するのに役立つばかりでなく、水の知られざる働きを見いだすきっかけになると期待できます。

<補足説明>

大型放射光施設 SPring-8
理研が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の大型放射光施設。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来する。放射光(シンクロトロン放射)とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、細く強力な電磁波のこと。

水素結合
酸素や窒素など、電子を引きつけやすい原子と共有結合した水素原子は電子を引っ張られて弱い正電荷を帯び、隣接原子の持つ負電荷との間に共有結合の10分の1程度の弱い結合を生じる。これを水素結合と呼ぶ。水分子の場合、酸素原子のもつ6つの価電子のうち、2つの電子が2つのOH結合に関与して、残りの4つが2組の孤立電子対となり、隣接する水分子と合計で4つの水素結合を作ることができる。

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